花 岡 事 件 年 表
 

1942年 閣議決定。
1944年から45年にかけて986人が鹿島組花岡出張所に強制連行。
1945年6月30日 夜、一斉蜂起。
8月15日 敗戦。
9月11日 秋田地方裁判所、耿諄大隊長ら暴動事件首謀者に有罪判決。
1945年10月   アメリカ軍中山寮を確認。戦争犯罪調査開始。(1946年1月までの死亡総数は、418名)
1948年3月1日 アメリカ第8軍戦争犯罪法廷(横浜裁判)で河野正敏ら鹿島組現場責任者らに対し有罪判決(補導員ら3名絞首刑、1名は終身刑、警察関係2名は禁固20年。
1949年10月 中華人民共和国 成立
   鹿島建設、信正寺裏境内地に供養塔設置。
1953年から1964年にかけて、遺骨送還運動(中国側の受け入れ窓口は、中国紅十字会)。
1972年9月 日中共同声明(日中国交回復)。
1978年8月 日中平和友好条約締結
1989年12月21日 耿諄ら花岡事件生存者、鹿島建設に対し株式会社に対し、公開書簡により三項目要求を提出。
1990年 7月 5日 「共同発表」。
1995年3月   交渉打ち切り通告。
6月28日   原告(耿諄氏ら11名)鹿島建設を被告として損害賠償請求訴訟を提起(中国人被害者による初の訴訟提起)。
1997年12月 8日 日本の74労組(後に220余労組)が、第二次大戦中の日本による朝鮮人・中国人強制連行がILO29号(強制労働)条約違反であるとして提訴
12月10日   東京地方裁判所、原告らの請求を棄却する判決を言い渡す。
12月12日   東京高等裁判所に控訴申立(東京高裁第17民事部系属)。
1998年7月15日 控訴審第1回期日(以後、6回の口頭弁論)。
1999年3月15日 ILO条約勧告適用専門家委員会が、強制連行は29号条約違反という日本政府への勧告
1999年9月10日 東京高裁17民事部職権和解勧告。
12月16日 中国紅十字会総会、和解手続きに利害関係人として参加することを正式表明。
2000年4月21日 東京高裁17民事部和解勧告書(和解骨子)を当事者双方に提示。
5月31日 中国紅十字会(中国政府)裁判所の和解勧告書に異議のない旨通知。
11月10日 裁判所和解条項案を当事者代理人双方に提示。
11月21日 午後6時からの和解期日において和解条項の成案を確認。
11月29日 午後2時、第20回和解期日にて和解成立。
2001年3月15日 ILO条約勧告適用専門家委員会が29号条約違反で日本政府に再度の勧告
2002年3月 ILO条約勧告適用専門家委員会が29号条約違反で日本政府に詳細報告を要求